照福山顕光院圓應寺 副住職 三木英信様

(しょうふくざんけんこういんえんのうじ  ふくじゅうしょく みきえいしん さま )

第1回

お寺を紹介するこのサイトの意味に悩んだとき、背中を押してくれるお寺がたくさんありました。 今回はそんなお寺の1つ、福岡市中央区の浄土宗寺院、圓應寺の副住職様にお話を伺いました。 最近話題の黒田官兵衛の正室である光姫の菩提寺として有名なお寺です。


―――こちらのお寺は、一般の方も参加できるイベントや情報発信などに大変積極的で、「開かれたお寺」というイメージがありますが。monthly05

お寺というのは、どなたかが亡くなっときや法要の際に行くところとか、敷居が高くて入れないといったイメージがありますよね。

でも、お寺というのは何か悩んだときや嬉しいとき、ちょっと時間ができたときにふらりと立ち寄って話をするというくらいの気もちで集まってもらうような場所であればと思っています。

福岡市内では少なくなっていますが、お寺の境内というのはもともと夏祭りや除夜会、花祭りといった近所の人が楽しく集まるような場所なんです。

福岡でいうなら筥崎宮の放生会、櫛田神社では山笠といったようなことですね。
福岡の方はそういったお祭りごとが大好きなんですよ。

もちろん、福岡に限らず、人は何かしらの「非日常」を求めています。
現代ならちょっと疲れたときに旅に出たり、好きなアーチストのライブに行ったり、映画館に出かけてみたり。
昔はそういった「非日常」を提供する場が、お寺だったんじゃないでしょうか。

日本には毎月といっていいほど何か行事がありますよね。
1月はお正月、2月は節分、3月はお雛祭り、4月に花見…。毎日の生活を頑張って送っていく中で、その行事が目標であり、ご褒美であり、「非日常」であるいうことなんです。

 ―――なるほど。「非日常」は楽しいことのように感じますがそういった意味合いですか?

いえ、そういったものばかりではありません。もちろん、お祭りのようにワイワイと賑やかな様子も「非日常」でしょうが、例えば、厳粛な雰囲気で行われる法要や荘厳さを感じさせる空間などもそうです。  お寺という場所は、楽しさや緊張感、荘厳さを持ち合わせた場所なんですよ。

例えば、11月に開催した「光と影と光姫さまと」という十夜会法要では厳粛な法要も行いました。その後は振る舞い酒や呉豆腐など、楽しい時間もお過ごしいただけたと思います。

―――私も参加させていただきましたが、山門を入ると竹灯籠の明かりが幻想的な空間でしたよね。お経は普段聞きなれないので少し緊張感もありましたし、お声も素晴らしかったです。

monthly01 今回の催しでは、五感を刺激するという「非日常」を意識しました。

蝋燭だけの空間で視覚を、聞きなれないお念仏で聴覚、写経で触覚、お香で嗅覚、そして、振る舞い酒や呉豆腐を召し上がっていただいて味覚も刺激するといったようなところです。

ちなみに、今回使った蝋燭は、市内の結婚式場で使用されたものを再利用してます。monthly02

当寺は光姫の菩提寺でありますので、官兵衛との仲睦まじさ、そして幸せな結婚のどちらにもあやかれるようにということを狙っています(笑)

五感を刺激するということは、脳ストレスをとり、リラックスさせる効果があると言われています。「人をほぐす」という効果があるんです。

 

 ―――「人をほぐす」とはどういうことでしょうか。

monthly03人がほぐれると、しなやかに動くことができます。それは体のことだけではなく、心も同じです。心がしなやかに動きだすといろいろなことが見えてくると思うのです。

大晦日に除夜会法要を行いますが、その中でも竹灯籠をご用意します。蝋燭の灯りを見つめて心がほぐれ、素直に自分と向き合うことができるようになることでしょうし、ほぐれた心は幸せの感受性も大きくなります。
自分が幸せを感じることで、自分を取り巻く友人、家族、そして先祖や子孫などの人々や物事に感謝し、大切に思う気持ちと向き合えるのではないでしょうか。

そして、新年の幸せを祈願するというしなやかな心の動きを造り出すことができたらいいなと思っていますよ。

 

―――これまでも「開かれたお寺」としてご活躍なさっていますが、2014年は大河ドラマ「黒田官兵衛」の影響もあり、益々多くの方がお寺にやってくるのではないでしょうか。

 そうですね。最近は福岡の観光マップにも掲載されたり、観光情報サイトに掲載していただいたり、いろんなところで情報を集めて訪ねて下さる方も多くなりました。

―――あまりたくさんの方がお見えになるとお寺としては大変なんじゃないですか?

monthly04-1たくさん来すぎる、と感じるくらいでいいんですよ。対応に困るくらいたくさんの方に足を運んでいただきたいですね。

お寺という場所はいつでも遊びに来ることができるレジャー施設と同じくらいの気もちで訪ねてきてもらいたいと思っています。

「開かれたお寺」というと、目新しいことや変わったことをしているように思われがちですが、基本にあるのは原点回帰。

そもそもお寺ってどういうものなんだろうということを考えて行っているんですよ。

例えば、葬儀会社主体になってしまっているお葬式も、「寺葬」というお寺の本筋に立ち返って取り組んでいけたらと思っています。

 

 

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